川崎駅東口

川崎駅東口の交通広場は地元だからではなく、優秀なのでおススメしたいところです。

川崎駅東口交通広場は2011年に再編され、随所に工夫が見られます。

まず、川崎駅の自由通路にはバスの乗り場案内と発車時刻の案内板(2019年8月設置)があります。次発まで掲載されていて必ずしも急ぐ必要はないことを示してくれます。

またバス停からの検索機も置いてあり初めてきた人にもわかりやすいのではと思います。

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川崎駅自由通路のバス乗り場案内板

交通広場に話を戻すと、JR川崎駅と京急線の線路の間に乗り場が展開され、JR川崎駅から見て手前側にタクシー乗り場と一般乗降のスペースがありその奥の海島と空島の2つの島からバスは発車します。(アクアライン経由の木更津行きのバスは京急線の奥から発車)地上1階レベルでスムーズに行けるほか地下からもアプローチが可能です。

地上を通っても屋根がついており雨の日も濡れずにJR川崎駅まで行けます。

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タクシー乗り場とバス乗り場などの位置関係

さらに注目はバス停の形状です。斜めに切り込んでおり、バスは縁石にかなり接近して停車します。

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縁石に寄って停車するバス

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ジグザグに切り込んだバス停

ちなみにこの写真右側には整列線が引かれていますが、平日朝は浮島や扇島方面の工場で働く方で混雑するほか、川崎駅東側は京急大師線を除きバスが大きなシェアを占めており日中でもバスが頻繁に発車します。川崎駅東口はバスと鉄道という結節点という側面を持っていることがわかります。

交通広場はそれぞれに工夫が感じられ観察するのも面白いです。これからも駅を降りたら随時観察してみたいと思います。(今学期の授業で交通広場を勉強すると思うのでそちらも楽しみです)

二ヶ領用水

昨日は天気もよく近所の二ヶ領用水を散策しました。
この二ヶ領用水は僕にとっては実は初めて土木の偉大さを感じた土木遺産であります。
川崎市の小学校ではこの二ヶ領用水について学びますが、小学生のころ「よくこんなの作ったな」と感動したのを思えています。土木に進むことを決めたのはそれからしばらく後になりますが、この自粛期間に原点回帰ということで近場でもある二ヶ領用水を散策しました。
 二ヶ領用水は1603年、徳川家康多摩川の用水奉行である小泉次太夫につくらせた県内最古の農業用水で1611年に完成しました。この用水により現在の川崎市東部の水田は潤い、江戸時代の江戸の人口拡大を支えることになります。この用水がなかったら江戸の人口は100万人に遠く及ばなかったかもしれません。その後、明治に入ると横浜市への上水の提供も行われます。当時の横浜は相模川・酒匂川から水を引くことができず、二ヶ領用水をはじめとした多摩川水系から水をもらっていました。二ヶ領用水は横浜の発展を陰で支えたとも言えましょう。その後は、市街地化に伴い農業用水として使われることはなくなりましたが、多摩川からの分岐点である宿河原堰から鹿島田駅付近の町田堀跡までは残されており、市民の憩いの場となっています。
 

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川崎堀踏切そばのプレート

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平間浄水場付近の土木遺産のプレート


 
 平間浄水場は二ヶ領用水とつながっており、明治後半から昭和中ごろにかけて工業用水としても使われたことをいまに伝えている。

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横須賀線との交差部

 二ヶ領用水は現在は遊歩道として整備されており、ザリガニ釣りの親子連れやジョギングをする人が時折見られます。南武線との交差部、横須賀線との交差部では遊歩道が途切れている。

 その後、平和公園武蔵小杉駅中原区役所付近の市街地を通る。今回の散策はその付近である、等々力アリーナ付近で終了した。

 

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平和公園内を流れる二ヶ領用水

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東横線目黒線との交差部

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鴨にとっても憩いの場?

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今回の散策ルート(ポイントしたから、川崎堀踏切・平間浄水場横須賀線との交差部・平和公園東急線との交差部)

 この先、二ヶ領用水は高津駅付近を通り久地円筒分水にさしかかる。

この付近は4つの村に水が分配され分水樋で対処していたが、争いが絶えなかったため円筒分水という画期的な土木施設が1941年に誕生。1998年には国の登録有形文化財に指定されました。

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久地円筒分水の説明(2018.821撮影)

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久地円筒分水(2018.821撮影)

 さて、今回は地元の土木遺産、二ヶ領用水について書かせて頂きました。

お出かけが自由にできるようになったら、全国各地の土木遺産を見て学びこちらで発信していけたらと思います。まだまだブログはなれませんが、最後までお読みくださりありがとうございます。
 

コロナ自宅待機

鉄道やまちあるきを趣味とする自分にはコロナ自粛期間に家で過ごすことは、やはり苦痛です。まもなく大学3年の春学期が1か月遅れで開始しますが、このコロナ自宅待機期間を振り返りたいと思います。

2月頭の2年生の秋学期の試験から大学は休みとなりました。

その頃は新型コロナは中国の感染症という程度でしか思っておらず、自分を含め国民全体はそれほど意識していなかったのでは思います。

2月

14日、21日に大学の公式イベントで見学会がありました。特に21日は橋梁メンテナンスの見学会のあと小山にて引率して下さった先生方(東大・東工大の先生含む)と懇親の場があり土木を学ぶ意義など意見交換ができ充実した時間になりました。

28日-3月3日

教授とインドネシア渡航(初めての海外)の予定でしたが、この頃より新型コロナが中国以外の国にも拡大しており、渡航は中止になりました。初めての海外、教授からのお誘い、南武線車両との再会、発展途上国の交通視察と楽しみにしていただけに残念でなりませんが、またの機会の楽しみとします。

3月

8日のTOEICや応援のバイトがなくなり時間を持て余すようになり、中高時代の友人と再会するなどし異なる分野で頑張る友人と意見交換ができました。

26日-28日に予定していた宿泊の見学会も延期となり、個人で静岡・愛知・長野・新潟・富山(東海道線飯田線・中央線・篠ノ井線大糸線えちごトキめき鉄道・あいの風とやま鉄道・地鉄北陸新幹線)と旅行しました。1日目に泊まった平岡駅龍泉閣では駅に宿泊施設という機能を持たせることでの駅の可能性を感じたほか、富山ではLRTにより観光客の富山城や岩瀬浜へのシームレスな移動を可能にしたり過度な自動車依存からの脱却を実践できており学べるものが多く感じられました。

4月

中旬からは本格的な自宅待機となり、久々に読書をしたり気になる企業のHPを漁るなどし、なるべく時間の有効活用を心がけました。通話やオンラインでの飲み会に誘ってくださった方々には感謝です。

 

新型コロナの政府の対応や昨今の情勢を見ていると日本の凋落を感じ得ません。

ここ最近になりようやくそれがわかった自分も恥ずべきところでありますが、今後も身の回りの情勢に注視しつつ、ゆくゆくは土木に身を置くものとしてどのように身を振舞うべきか考えていきたいと思います。

このブログでは鉄道やまちあるきで見てきたことの他、読書などで得られた私見を述べる場所にして行きたいと思っております。