二ヶ領用水
昨日は天気もよく近所の二ヶ領用水を散策しました。
この二ヶ領用水は僕にとっては実は初めて土木の偉大さを感じた土木遺産であります。
川崎市の小学校ではこの二ヶ領用水について学びますが、小学生のころ「よくこんなの作ったな」と感動したのを思えています。土木に進むことを決めたのはそれからしばらく後になりますが、この自粛期間に原点回帰ということで近場でもある二ヶ領用水を散策しました。
二ヶ領用水は1603年、徳川家康が多摩川の用水奉行である小泉次太夫につくらせた県内最古の農業用水で1611年に完成しました。この用水により現在の川崎市東部の水田は潤い、江戸時代の江戸の人口拡大を支えることになります。この用水がなかったら江戸の人口は100万人に遠く及ばなかったかもしれません。その後、明治に入ると横浜市への上水の提供も行われます。当時の横浜は相模川・酒匂川から水を引くことができず、二ヶ領用水をはじめとした多摩川水系から水をもらっていました。二ヶ領用水は横浜の発展を陰で支えたとも言えましょう。その後は、市街地化に伴い農業用水として使われることはなくなりましたが、多摩川からの分岐点である宿河原堰から鹿島田駅付近の町田堀跡までは残されており、市民の憩いの場となっています。
平間浄水場は二ヶ領用水とつながっており、明治後半から昭和中ごろにかけて工業用水としても使われたことをいまに伝えている。
二ヶ領用水は現在は遊歩道として整備されており、ザリガニ釣りの親子連れやジョギングをする人が時折見られます。南武線との交差部、横須賀線との交差部では遊歩道が途切れている。
その後、平和公園、武蔵小杉駅や中原区役所付近の市街地を通る。今回の散策はその付近である、等々力アリーナ付近で終了した。
この先、二ヶ領用水は高津駅付近を通り久地円筒分水にさしかかる。
この付近は4つの村に水が分配され分水樋で対処していたが、争いが絶えなかったため円筒分水という画期的な土木施設が1941年に誕生。1998年には国の登録有形文化財に指定されました。
さて、今回は地元の土木遺産、二ヶ領用水について書かせて頂きました。
お出かけが自由にできるようになったら、全国各地の土木遺産を見て学びこちらで発信していけたらと思います。まだまだブログはなれませんが、最後までお読みくださりありがとうございます。